去る7月10日 高知県立大学にて吟詠を講座を開かせて頂きました。
この大学の教授であられる高西成介教授は、中国古典文学が御専門のとても振る舞いが穏やかで魅力的な方です。
数年前から、幾度かこのような関わりを持たせて頂き、お目に掛かる度に本当のところ身の引き締まる思いになります。
それは、私自身が吟じるという行為においてのみ漢詩と関わり、その背景を少々学んで、お弟子さんたちに指導していながら、
内面、十分でない、まだまだ足るわけもないと自覚があるためであります。
高西先生の存在があることで、「わたしは何も知らないのだ‥‥」と言えるに等しいと自分を判断できるためです。感謝。
ですので、先生の前ではわたしも生徒になりたいわけですね。
さて、そうはいっても講師。
この日は、「漢詩文学」が「音(吟声)」を以て長い時間、日本のわたしたちに伝承されて来ているのだという、分かり切ったようなでもちょっと吟詠家としては、胸を張れるようなことをお伝えしつつ、
その声は、漢詩の「解釈」に相応しい「音色」にして表現するのだということをお伝えしました。
初めて吟詠を聞いて下さった学生も」、またそうでない学生も、感動して頂けたようで、内心ほっとしました。(伝わったかな💛)
日本の国語教育はどんどん変化して行っています。優れた文学作品の鑑賞ということよりも、論理的に組み立てる術、又は解釈する力、より「現実的な処理能力」の向上という側面を強化するようになっていくとのことを知れば、子供たちは、豊かな感受性を養うよりもまえに、富国強兵の一員としての能力を幼少期より叩き込まれていくのだと思えない節もない。
吟詠は、時代に逆行しているのだ。
故に、わたしはこの潮流に抗い続ける大義を内面に必要としてしまう。
なぜならば、継承されゆくべきは、吟の上手い下手でなく、この道の精神性なのだから・・・・。
秀宗